校長室より

1cmの主体性 〜2年社会授業でのつぶやき〜

社会「歴史」の授業を見ていて思うのは、「さすがに難しい言葉が多くなってきたな」ということです。併せて、難しい漢字も多くなっています。今日の授業では「ソンノウジョウイ」が話題となっていました。「ソンノウジョウイ」・・・漢字で書けるでしょうか 😅  ただ、反応良く、明らかに興味をもって授業に参加できている生徒が目立ちます。歴史にはそれだけの魅力があるのかも知れませんね。

教科担任が「桜田門外の変」について説明している時のことです。「井伊直弼が暗殺され・・・」という言葉を受け、数人の生徒が反応します。「えっ、暗殺やないし。」つぶやいた生徒たちは、その様子を描くイラストを見ていました。イラストにはかごに乗る井伊直弼を中心に、大勢が入り乱れる様子が描かれています。印象で言えば “大混乱で大騒ぎ” って感じでしょうか。確かにその様子は、「暗殺」という言葉のもつ闇の匂いや密やかなイメージには合わない気もします。生徒たちはそんな印象のズレを、素直に言葉にしたわけです。

何げないつぶやきですが、それを聞き、私は嬉しい思いを味わいました。勉強が難語句の暗記に陥っていない、授業の中で思考力が存分に働いている、そんなことを感じたからです。暗記に頼る勉強には限界があります。いろいろと感じ、考えることにこそ “学ぶ喜び” があると思うのです。「えっ、暗殺やないし。」というつぶやきからは、生徒たちの思考力や感受性、学習内容への興味関心が透けて見えます。1cmの主体性の表れとも言えそうです。