社会科の授業で「国債」という語が出てきました。タブレットPCでその意味は容易に引けます。国債の意味は? の問いかけに、生徒は「国の借金」と答えます。教科担任は続けて問いかけます。「国の借金を買うって、どういうこと?」えっ? て感じで生徒たちは沈黙します。すると、一人の生徒が質問します。「そもそも借金を買うって、誰から買うの?」生徒たちはまたまた沈黙。調べ考えること、あらためて再開です。
理科の授業では、教科担任が「シカはなぜ増えているのか」を問うていました。生徒たちは互いに相談します。指名された生徒は答えました。「天敵がいなくなったからだと思います。」すると教科担任は切り返します。「シカの天敵って、なに?」生徒たちは沈黙します。そして数秒後、え、何? 熊? 恐竜? シカって何かに食べられる? 逆に(シカって)何食べたっけ? といった相談が、あちこちで再発生です。
共通するのは “えっ、分からない” といった「沈黙」から本当の勉強が始まっていることでしょうか。そう考えると、授業の中でも『沈黙は金なり』です。いつの時代も、勉強は疑問から始まります。