先日、全校一斉道徳でこんな話し合いをしました。「SNS上に友達の悪口が書き込まれていました。あなたはそれを友達に伝えますか?」・・・本日のひびきあい集会では、道徳で話し合い考えたことを縦割り小グループの中で交流しました。新たな試みです。
ここではあるグループを抽出し、その話し合いの様子をひとつのエピソードとしてお伝えします。
一番感心したのはAさん(1年女子)の姿でした。まずはその “息の長い発言” に拍手👏 事前の道徳授業の充実ぶりがうかがえます。さてそのグループの話し合いですが、「伝えない」という意見が場を占めていました。「伝えるべき」という意見はないかと司会者が問うと、真っ先にAさんが反応します。「“先生に言う” というのは伝えることになりますか?」と質問です。司会者は少し考え「それはなし。直接伝えるという意見を」と答えます。Aさんは「先生に言って、その結果(悪口が書かれていたという情報が)友達に届くというのは・・・」と少し食い下がり、でも再び考え込みます。そして数分後、こんな意見を述べました。「伝えるといいことは、SNSに悪口を書き込むという、変なクセみたいなものを直すことにつながると思います。」話し合いの時間は決して長くありませんでしたが、考えて考えて考えて考えて、その結果導き出された意見です。その意味においても実に素晴らしい!と感心させられた次第です。
さて、この事例について、少し角度を変えて考察します。なぜAさんはこの場でそんな姿を発揮できたのでしょう。もちろんひとつはAさんの資質でしょう。誠実に考え積極的に発言できるだけの力を、Aさんはもっています。そしてもうひとつは、1年生が先輩の前で思ったことを素直に表出できる環境がそこにあったことだと思います。周りにいた2・3年生は “思いを素直に伝えてもらえる人” “ 変なプレッシャーや余計な気遣いを与えない人” だったのです。ひびき集会は互いの人権について考える集会でしたが、「互いの人権を大切にする」というのは、互いに “そういう人” を目指すことなのかも知れません。